2017/03/11

あれから6年

たまには真面目な話でも。

今日で東日本大震災から6年が経ちました。

私は両親が東北生まれで東北育ち、私自身も生まれは東北の為、

それなりに東北へは、思い入れがあります。

実際、あの震災の後、2年後の2013年には仕事で宮城県気仙沼市に行き

その景色をみて驚愕しました。

当時、写真を撮ったけどアップする気にはなれずそのままにしていましたが。

そのまま、忘れてしまうことが無いように、記録としてここに残したいと思います。

写真は全て4年前の写真です。


宮城県気仙沼市唐桑町 湾内の家は全て流され基礎だけが残った状態でした。


震災から6年経った今でも復興が進まなかった理由の一つ。

高台に家を建てるにも、試掘調査(遺跡調査)を行わないと開発が出来ないとの事。

実際遺跡が発掘されると、何年も開発ができない場合もあります。

こんな時でもそっちが優先なんて、何でですかね?


今の状態をgoogleのストリートビューで見てみましたが、

当時試掘調査を行ってた場所は車の止まっている先になります。

開発は進んでいませんね。


これは、陸前高田の残された橋げた。


陸前高田市の市内。一部の建物と基礎が残ってるだけで何にもありません。

震災から2年後なので瓦礫等はだいぶ撤去されていましたが

まだ人が住めるような状態ではありませんでした。

また聞いた話では、当時、開発許可が下りるには数年掛かるとまで言われていました。


奇跡の一本松です。

これはまだサイボーグ化される前の時ですね。



陸前高田から気仙沼に向かう道では、このような看板が目立ちます。

山間で割と標高も高い場所なんです。

当時は「え?ここまで津波が!」と驚愕したものです。


気仙沼は溺れ谷(リアス式海岸)

湾内にも起伏がある為、被害のあった場所と無い場所が微妙な高さで違っていました。



当時打ち上げられた船で有名になった、第18共徳丸。

全長約60メートル、総トン数330トンの大型巻き網漁船です。

「震災遺構」として保存を目指していたそうですが市民の要望で保存はしない事となり、

現在は解体されて無いそうです。



以上が私が実際に見て体験した事。

最近ではだいぶ忘れがちですが、福島も含め復興は現状それほど進んでいないようです。

今後も私に出来ることがあれば応援して行きたいと思います。

photo Sony RX100

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